コジマガ(kojimag@)は児島ゼミナールOB/OG向けメールマガジンです。
児島ゼミ30年の歴史において、大きな転換点があるとすれば、外部環境の変化です。
まず瀬戸から名古屋への全面移転、その次がコロナ禍の対応としての授業の全面
オンライン化です。
これを元に大きく3分して、その大変化について3回シリーズで記載します。
ちなみに、#02の推移グラフで示した色分けは、この分類に沿っています。
記憶もあやふやになっているので、2003年からの詳細については、過去の
「コジマガ」をご確認ください。
■児島ゼミ1.0 瀬戸キャンパス時代
1995年4月、児島ゼミがスタートしました。
当時の年齢は30歳(ということなので現在は60歳)で、ゼミ生との年齢が近く、
指導方法にも若さが先行し、昭和的な雰囲気が色濃く出ていました。
緑に囲まれた瀬戸キャンパスは、落ち着いて勉強するには素晴らしい環境です。
図書館の1階にあった情報センターのパソコン教室で、ゼミを行っていました。
今でも変わりませんが、就職を意識し、ゼミ生には社会性を求めています。
そこで、新歓コンパと追出しコンパの他、ゼミ合宿だけでなく、ゼミ旅行や
社会見学(秋)も実施していました。
ゼミのホームページは1996年にはできていたと思います。ゼミの内容のひとつに
ブラウザでゼミ生にHTMLを教え、個人のホームページも作成しました。
当時の文系学部としてはかなり珍しい取り組みなので、就活での売りにもなるか
と思いました。Webには、ゼミや授業関連の教材コンテンツを作って、新しい
情報共有を体験しました。今と比べるとかなり不便な環境ですが、それでも
技術革新のスピードを体験できる貴重な機会でした。
1996年から全新入生へのノートパソコン配布がスタートしました。
新たに「情報処理入門1・2」という科目ができましたが、通常の時間割に入れて
もらえず、水曜日の午後、土曜日に授業が開講されるという状況でした。
(当時のいきさつは知りえませんが、尋常ではなかったという想像ができます。)
1997年には嗣業館が新たに完成し、情報センターが全面移転・拡張しました。
ゼミ3期生からは、新しい建物でゼミも行われるようになりました。
当時のネット環境は脆弱だったため、嗣業館にあるマルチメディア教室での
サブゼミという自習スタイル(そこで学生指導をする)ができあがりました。
以上を見ると、大学ではかなりの情報関連投資をしたのではと推察します。
世間はまだインターネットも体験していない時代でしたので、大学で情報技術を
覚えることができたのは、今以上に大学に価値が大きなあったように思います。
ゼミ1期生から卒業論文発表会をスタートしました。当時、Powerpointで
プレゼンするのはかなり珍しい時代ですが、毎年、徐々に卒論発表のレベルも
アップしていったことを覚えています。また、秋口にゼミ合宿と合わせて、
実施した学年もあったと記憶しています。
当時、教務委員に任じられて、学部で卒業研究発表会を開催する運びとなりました。
そこで、ゼミでの発表会の方法をベースに準備をしました。その後、連綿として
受け継がれ、学部の卒業研究発表会は、形を変えながらも現在に至っています。
ゼミがスタートして8年目(2003年6月8日)にコジマガをスタートしました。
これは、卒業生たちとの情報共有を目的としました。ホームページは
当時、流行していたメーリングリストを使ったメルマガを始めました。
コジマガの第28号まで瀬戸キャンパス時代が記録されています。
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